Mountain line Mt. Fuji

2021

山シリーズ第二弾として富士山をテーマに制作した。日本の象徴であり信仰の対象であるこの山に、どのように対峙するかという思いはエベレスト街道を歩いて以来常に持っていた。西伊豆のアトリエ近くの海から駿河湾に浮かぶ富士山を眺めることが日課になっていたこともあるが、富士山は自分の中でも特別な存在として常にあった。

あまりにも多くの表現者が富士山をテーマとする中で、一体どのように山を捉えるかという問いもあったが、リサーチをする中で「絹本著色富士曼荼羅図」(重要文化財指定)や「富士参詣曼荼羅」という約400年前に残された絵図を見た時から一気に構想が頭に浮かんだ。

以前から作品制作の際には古地図や日本の大和絵などを参考にすることがあったのだが、その中でも「すやり霞」という大和絵特有の表現技法に関心を持っていた。それは標高の高い絵を描くときに用いられることが多いが、画面の中に霞が積層されその奥に風景を遇らうことで遠近感を表す素晴らしい表現だ。

しかし写真は一枚のフレームからなるため、雲を撮影しても多くの場合雲の後ろに空があるので、それを街や風景の上に乗せるとそのものだけが浮いて違和感が残る。「すやり霞」のような表現は難しいのではないかと感じながらも、2020年登山シーズンに全てのルートから富士山登山をスタートした。ある時登山中に頂上付近から眼下を見ると、その奥の風景が黒く沈み、雲だけがくっきりと浮かび上がっていた。カメラファインダーの中には写真のフレームの角を感じない立体的な雲のイメージを捉えることができたのだ。それをきっかけに雲を多く撮り、画面に余白を作ることを想定したイメージを持った。

今までは間を詰めるという意識でコラージュという技法に取り組んできたが、前述の絵図や大和絵などから着想を得て、写真を使って伝統的な技法へのアプローチをすることができた。そのことで今までには起こらなかった空間の作り方や、間の持たせ方について思考できたことは大きな発見であった。

コロナ禍で登山客は多くはなかったし、富士吉田の火祭りは関係者のみで行われ、オリンピックの聖火リレーが行われていた各会場は空元気のような寂しさもあったが、写真の記録性という表現の特性を否応なしに感じる現在の富士図ができたと同時に、自身の表現の深化においても節目の作品になったと感じている。

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